厄年について
厄年の年齢は、人の一生の中でも、体力的、家庭環境的、あるいは対社会的にそれぞれ転機を迎える時期であり、災厄が起こりやすい時期として忌み慎まれています。
その年に当たっては、神様の御加護により災厄から身を護るため、神社に参詣をして、災厄を祓う厄祓い(厄除け)の儀が行われます。厄年の年齢は「数え年」で数え、新年を迎えると共に新たに年齢を一つ重ねますので、この年齢が変わったときに厄祓えを行うことが多いようです。
本来、厄年は長寿を祝う還暦(61歳)や古稀(70歳)などの年祝いと同じく、晴れの年齢として考えられていました。厄年を迎えることは、地域社会において一定の地位になることを意味し、宮座への加入や神輿担ぎなど神事に多くかかわるようになります。このため心身を清浄に保ち、言動を慎む物忌に服する必要があったようです。厄年の「厄」は神様にお仕えする神役の「役」であるといわれるのもこうした理由からきているようです。
現在では、災難が多く生じる面が強調され、禁忌の感覚が強くなりましたが、七五三や成人式、年祝いなどとともに、人生における通過儀礼として、大切に考えられています。
あけましておめでとうございます。
みなさま、よいお年を!
2020年大晦日です!今年も大変お世話になりました。
参拝にいらっしゃる方、また御祈祷を受けられる方、夜はかなり冷え込みますのでみなさま暖かい服装でお越しください。
来年2021年の干支はうし【丑】!ということで新年より干支の土鈴を授与しております。土鈴は鈴を鳴らすことにより災いが自身に降りかかってこないようにという魔除けの意味合いと、干支のものを玄関等に飾ることにより幸運を招くという意味があります。
来年も大神様の御加護を頂きまして、皆様の2021年がより一層のご発展ありますようお祈り申し上げます。皆様、良いお年を!
丑について
来年の干支である【丑】は、農耕や運搬の労働力として古くから人間の生活に欠かせない身近な存在です。そのよく働く姿が「誠実さ」を象徴し、縁起の良い動物として干支に加えられたと言われています。また「紐」という漢字には「丑」が使われており、「結ぶ」や「つかむ」などの意味が込められているとも考えられています。
神社でいえば、学問の神様である菅原道真を祀る天満宮には丑の像が置かれています。これは「菅原道真が丑年であった」「暗殺されそうになったとき飼い牛が助けてくれた」「菅原道真の遺体を運んでいるときに牛が座り込んで動かなくなったので、そこに埋葬した(そこが太宰府天満宮の場所)」など、菅原道真と丑にまつわる多くのいわれから丑を神様の使いとして祀っているようです。
来年は丑に見習って、先を急がず一歩一歩着実に物事を進め、将来の成功に繋げていく年にしたいですね。
御神札を新しくお祀りしましょう!
新しい年を迎えるにあたり、神棚をきれいに清掃して、新たに神社から受けた御神札を神棚にお祀りしましょう!
神社から受ける御神札には、伊勢神宮の御神札である神宮大麻、氏神様の御神札、台所にお祀りする竈神様の御神札などがあります。年の区切りであるこの時期に神社から新しい御神札を受けることにより、大神様の恩頼(みたまのふゆ)を戴き、新しい年も家族が無事であるように祈念し、お祀りします。今までお祀りしていた古い御神札は、今年一年が無事に過ごせたことを感謝し、神社にお礼参りをして納めます。
日本には古来より、親から子、子から孫へと脈々と続く生命の繋がりを尊び、これを発展的に未来へ受け継ぐという考え方があります。この考え方は、例えば伊勢神宮でも20年ごとに社殿を造り替え、大神様に新しいお社にお遷り戴く式年遷宮が行われておりますし、その他の神社でも社殿を新造することにより、さらなる御神威の発揚が図られてきました。
私たちが毎年、神棚の御神札を新しくするのも、まさにこうした考え方によることです。
神宮大麻について
年末年始に神社から戴く御神札には、氏神様の御神札の他に伊勢神宮の御神札である神宮大麻があります。伊勢神宮は皇室の大御祖神(おおみおやがみ)である天照大御神をお祀りする神社です。我々が普段生活をしている近くの神社(氏神様)がその地域を守っている神様であるならば、神宮は日本全国をお守りくださっている総氏神様になります。
神宮大麻の起源は平安時代末まで遡ります。元来、神宮は個人的な祈願を受けない(私幣禁断)神社でしたが、諸国を巡った御師(おし、おんし)の活躍もあって、一般の崇敬を広く集め、神宮大麻の頒布も全国的に広がっていきました。大麻という名称は神社でお祓いを受ける際に用いられる大麻(おおぬさ)からきたものであり、御師の間でも「御祓(おはらい)」「お祓さん」といった通称が用いられていたことから、御神前に進む際の参拝者の清浄なる心持ちを表したと考えられています。
七五三について
すっかり秋になり、七五三詣の時期になりました!
七五三の起源は平安時代の公家の習慣まで遡ります。当時は幼児の生存率が低く、特定の年齢まで命を繋ぎとめてくださったことを神様・御先祖様へ感謝し、家族で祝う儀式として行われ、その後武家社会にも広がっていきました。
七五三詣とは三つの儀式の総称です。三歳の男女児の場合は「髪置(かみおき)」といい、もう赤ん坊でないという意味から今まで剃っていた髪を伸ばし始める祝儀です。また五歳の男の子の場合は「袴着(はかまぎ)」といって初めて袴を着用することの祝儀であり、七歳の女の子の場合は「帯解(おびとき)(紐解・ひもとき)」といって幼児用の紐を解き大人と同じ帯を用いることを表し、どれも子供の成長を社会的に認知するために行われてきた通過儀礼です。
七・五・三という歳の数については、縁起のよい陽数であることに結び付いたものであり、また11月15日の日取りについては、天和元年(1681)のこの日に、五代将軍徳川綱吉の子息徳松の髪置祝いがおこなわれたことを前例にすると伝えられています。尚、本来では数え年で祝いますが、最近では満年齢で祝う割合が高くなり、参拝の日取りも11月15日に拘らず、都合の良い日に参拝する傾向が強くなっています。