瀧神社の社務日誌

神社や神話にまつわる話を中心に更新中!

塩について


 お清めに塩を用いることは日本の宗教的習俗であり、海水を意味する「潮」とも通じて様々な風習があります。

 古くは記紀の神話に、黄泉の国から戻った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が身体についた穢(ケガレ)を祓うため、海水で禊祓(みそぎはらい)を行ったことが記されています。このことから、海水を沸かした「塩湯(えんとう)」が病気治癒や無病息災の為に用いられるといった風習に繋がりました。

 現在、神社における祭典のお祓いでも塩湯が用いられます。葬儀の際に塩が用いられるのもこうした信仰に基づいて、日常と非日常とを分けるお清めの行為を行ったものと言えます。

絵馬について

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 皆様が神社を参拝するとき、境内のどこかに絵馬が多くかかっているのを見かけるかと思います。現在では絵馬には祈願内容を記入して奉納しますが、これは元々は神様に本物の馬を供えていたことに由来します。

 古くは『常陸国風土記』『続日本紀』などに、祈雨止雨、そのほかの祈願のために生きた馬を献上していたことが見られ、当時から神々の乗り物として馬が奉献されていたことが分かります。その後時代を経て、代用としての馬像や簡略化された絵馬が奉納されるようになりました。馬は日本人の生活に深い繋がりを持っており、輸送や農耕などあらゆる面で大きな役割を果たしてきました。

 絵馬には本来馬の絵が描かれましたが、時代や人々の願いとともに干支や祭礼の模様、安産や病気平癒の祈願を現したものなど様々あります。絵馬は人々の祈りの形を現したものといえるでしょう。

鳥居について

 神社にお参りをするとき、まず目に入るのが鳥居です。鳥居は神社の神聖さを象徴する建造物といえます。神社の内と外を分ける境に立てられ、鳥居の内側は神様がお鎮まりになる御神域として尊ばれます。

  鳥居の起源ついては諸説あり、その一つとされているのが『古事記』の中にあります。天照大御神が天岩戸に隠れたとき、神々が天岩戸の前で「常世(とこよ)の長鳴き鳥(ニワトリの古称)」を鳴かせて岩戸を開き、大御神を引っ張り出そうとしました。このとき、鳥を止まらせるために止まり木を作りました。これが鳥居の始まりであり「鳥の止まり居るところ」というのがその語源といわれています。また鳥居を通って神域に入って行くということから「通り入る」という言葉が転訛したものともいわれています。

 鳥居を見ると神聖さを感じるのは日本人共通の感覚であると思います。

 

 

玉串について

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 玉串は神前にお供えするものとして、神饌と同様の意味があると考えられています。神饌と異なるのは、玉串は拝礼によって自らの気持ちをこめて供え、お参りするということです。玉串は祭典の中で捧げて拝礼することから格別な意味を有するものであります。

 玉串の由来は『古事記』の天の岩戸隠れの神話に求められているといわれています。天照大御神の岩戸隠れの際に神々が執り行った祀りでは、真榊に玉や鏡などをかけて天照大御神の出御を仰いだことが記されています。

 また、その語源にはいくつかの説があり、本居宣長はその名称の由来を神前に手向けるため「手向串(たむけぐし)」とし、供物的な意味を有するものとして解しています。平田篤胤は本来は木竹(串)に玉を着けたものであったために「玉串」と称したと述べています。

 こうしたことから玉串は神籬と同様に神威を受ける依代であり、また玉串を捧げて祈る人の気持ちがこめられることにより、神様と参拝者との仲立ちとしての重要な役割を果たす供物であると考えられています。

お賽銭について

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今はもうすっかり散ってしまいましたが、今年の桜です。

 お賽銭の起源には諸説あります。現在神社でのお参りの際は、お賽銭箱に金銭をお供えしますが、このように金銭をお供えるすることが一般的になったのは古いことではありません。

 もともと御神前には、収穫した農作物や海の幸や山の幸をお供えしていました。その中でも特に、お米を白紙で巻いて包んだ「おひねり」がお供えされました。私たちは祖先の時代から豊かな自然に育まれ暮らし、秋になるとお米の稔りに感謝して刈り入れたお米を神様にお供えしました。こうした信仰にもとづき、お米を「おひねり」としてお供えするようになったのです。しかし貨幣の普及と共にお米の代わりに金銭もお供えするようになりました。

 お米は天照大御神によって授けられた貴重なものであり、人々はその大御恵(おおみめぐみ)を受けて豊かな生活をできるように願いました。お米をお供えすることも、金銭をお供えすることも、どちらもこの感謝の気持ちに変わりはありません。

中今とは

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 神道には「中今」という考え方があります。

 「中今」は古くは『続日本紀(しょくにほんき)』の宣命に記され、後に本居宣長が「今をいふ也(中略)盛(さか)りなる真ん中の世とほめたる心ばへ有て」と解釈しています。明治時代を経て「中今」は“現在とは過去と未来を結ぶ中心点”を表す言葉となり、天地が窮まり無く永続であるという日本古来の時間観と重なり、「今を生きる心得」として用いられるようになりました。その心得とは、「今」とは過去と未来をつなぐ中心にあり、悠久なる歴史と自分自身との出会いである一刻一刻の「今」を力一杯に生きて、生活できうるかぎり価値あるものとし、未来を支えるための一端を担うことにあります。

 また、神道は祖先崇拝も基本の一つです。今のこの瞬間があるのは御祖先(みおや)のおかげであり、御祖先から受け継いだものを次の世代に引き継いでいくというものです。神道では、中今と祖先崇拝を重要としていることから、過去・現在・未来の永続性を大事にし、今さえ良ければいいという考え方ではなく、実りある未来へと繋ぐために一瞬の「今」を意識し懸命に過ごすことが求められています。

 過去・未来のことも思いながらも「今のこの瞬間を精一杯生きていく」ことが神道の神髄ともいえます。

厄年について

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令和三年 厄年表

 厄年の年齢は、人の一生の中でも、体力的、家庭環境的、あるいは対社会的にそれぞれ転機を迎える時期であり、災厄が起こりやすい時期として忌み慎まれています。

 その年に当たっては、神様の御加護により災厄から身を護るため、神社に参詣をして、災厄を祓う厄祓い(厄除け)の儀が行われます。厄年の年齢は「数え年」で数え、新年を迎えると共に新たに年齢を一つ重ねますので、この年齢が変わったときに厄祓えを行うことが多いようです。

 本来、厄年は長寿を祝う還暦(61歳)や古稀(70歳)などの年祝いと同じく、晴れの年齢として考えられていました。厄年を迎えることは、地域社会において一定の地位になることを意味し、宮座への加入や神輿担ぎなど神事に多くかかわるようになります。このため心身を清浄に保ち、言動を慎む物忌に服する必要があったようです。厄年の「厄」は神様にお仕えする神役の「役」であるといわれるのもこうした理由からきているようです。

 現在では、災難が多く生じる面が強調され、禁忌の感覚が強くなりましたが、七五三や成人式、年祝いなどとともに、人生における通過儀礼として、大切に考えられています。